6-2 遊行寺坂の松並木2014/05/04 21:59

<目次(リンク)>
 1.遊行寺の門前町 藤沢宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302199
 2.遊行寺坂の松並木
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302197
 3.到着、藤沢宿
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302196
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2.遊行寺坂の松並木
 原宿の一里塚に着いた二人は、反対側にある浅間神社でしばしの休息をとった。立派な椎の木を見た後、藤沢宿を目指して再び歩き始めた。少し進むと、向かって左側に「青面金剛像」があり、その反対側には大運寺がある。
【き】「青面金剛像と書いてあるぞ。」
【お】「そばには、西国順礼供養塔もあるなぁ。」
【き】「供養塔があるということは、ここいらで何かあったんかな・・・。」
【お】「何かって?」
【き】「それがわかりゃ、苦労しないってーの。」
 ここまでは、国道の割には比較的史跡の多い区間であった。ここから先はしばらく史跡のない区間が続く。ひたすら歩くことが苦手なきんのじにとっては、やや退屈な区間である。青面金剛像を後にしばらく歩くと原宿の交差点がある。茶屋があったのはこのあたりと考えられる。現在は住宅地が続き、交通量の多い国道1号線が横切っている。
 さて、原宿の交差点を過ぎてしばらく歩くと、向かって左側に松が植わっている。これが名残の松である。その近くには石仏群がひっそりと佇んている。
【き】「大きな松があるぞ。」
【お】「名残の松かね。」
【き】「江戸時代からずっとあったのだろうか。」
【お】「この木はさすがに江戸時代からのものではないだろうけど、ここにも松並木があったのだろうね。」
【き】「今は車の往来する道だけど、江戸時代は松に囲まれた気持ちの良い道であったのだろうな。」
【お】「ん、あそこに石仏らしきものがあるぞ。」
【き】「どれどれ、おお、石仏群だ。ずいぶんと古そうな感じがするなぁ。」
【お】「国道として拡張されても残されたのは良いことだね。」
【き】「まさにあっぱれ。」
石仏群の先には、道祖神と馬頭観音像が建っていた。立派な囲いの中に立っているが、だいぶ傷んでいるようにも見える。村の厄除けと旅人の安全を願うものとして建てられた。
【お】「今度は馬頭観音と道祖神があるぞ。」
【き】「おお、史跡が多いな。ああ、忙しい忙しい。」
そう言いながら、きんのじはせこせこと歩きまわっていた。
【お】「おいおい、そんなに忙しいことはないだろう。落ち着いて見よう。」
【き】「そうですなぁ。」
【お】「この馬頭観音。文化八年(1811年)と刻まれているよ。古いね。」
【き】「江戸時代の頃より、旅人を見守り続けてきたというわけか。」
【お】「さて、先へ進もうか。」
馬頭観音を後にした旅人は、再び国道1号線の歩道を歩いた。わずかに史跡のない区間はあったものの、国道の割には史跡の多い道筋に、おさべえが心配したほどきんのじの愚痴はなかった。むしろ、史跡が頻繁に出てくることから、あたふたしているきんのじが笑えた。おさべえ自身も、史跡を写真に記録することが多く、案外楽しい道筋であった。

 馬頭観音の先には影取町の交差点があり、このあたりから東俣野町に入る。やがて左側に斜めに分岐する道が現れる。東海道はここを左に分岐し、しばらく国道1号線と並走する形となる。途中には大蛇の言い伝えが残る諏訪神社がある。その昔、社の裏に大蛇が棲む池があり、池に映る旅人の影を取って喰らったという。交差点名にあった影取町の名前は、ここからきているという。
【き】「神社があるぞ。」
【お】「諏訪神社だね。」
【き】「ということは、信州にある諏訪大社の分社ということになるな。」
【お】「まあね。」
【き】「お、境内には立派なクスノキがあるぞ。」
【お】「本当だ。立派なクスノキだな。」
【き】「こいつもずっとここに鎮座しているんだろうな。」
【お】「まあ、あながち間違っちゃいないけど、鎮座という言葉はちょっと・・・。」
【き】「鎮座だろう。」
【お】「このクスノキ、横浜市の名木古木に指定されているみたいだよ。」
【き】「やっぱりな。そうだと思ったよ。だってさ、こんなに立派な木なんだから。」
【お】「はははは・・・。」
【き】「今日は曇っているけど、晴れた日なんかは、この規模の神社の境内は気持ちがいいだろうな。」
【お】「そうだね。」
【き】「ちょっと休んで行こう。」
【お】「まあいいけど、天候が心配だね。」
そう言って空を見上げるおさべえ。空は曇りで心なしか厚みを増してきているような感じがする。天気予報では雨が予想されているだけに、少しでも先に進みたい心境のおさべえである。
【き】「さて、少し休めたし、先へ進もうか。」
【お】「そうだな。藤沢市まではもうすぐだし。」
【き】「なに、藤沢宿まではもう少し。そこまで来たのか。」
【お】「あ、いや、藤沢宿ではなくて藤沢市。この先で東海道は左に向かい県道30号線になるんだけど、そこいらで藤沢市に入るみたいだよ。」
【き】「なんだ。藤沢宿ではなくて藤沢市か。」
諏訪神社を後にした旅人は、今にも雨が降り出しそうな空の下を、藤沢宿目指して進んだ。東海道は左に分岐した後、国道1号線としばらく並走していたが、東俣野の交差点に着くと、国道1号線から左に分岐する県道30号線に合流する。この東俣野の交差点は、鎌倉時代の軍用道、鎌倉街道上道と交差している場所でもある。鎌倉街道の道筋はとぎれとぎれとなっているが、東俣野交差点周辺にま、今も古道が残っている箇所がある。
【お】「東俣野の交差点だね。ここで東海道は左、つまり県道30号線となって遊行寺へ向かうよ。」
【き】「遊行寺、聞いたことがあるな。」
【お】「箱根駅伝じゃないのか。」
【き】「おおそうだ。箱根駅伝だ。」
【お】「遊行寺の横、なだらかに下る坂が遊行寺坂といって、箱根駅伝では定点撮影のポイントとなっている場所だね。箱根駅伝ではよく映っているよ。」
【き】「そうか。我々も箱根駅伝の選手のように、東海道を箱根に向けて歩いているんだな。」
【お】「いきなり箱根かい。まずは藤沢宿にしておこう。」
【き】「へいへい。」
【お】「この先には松並木があるぞ。」
【き】「松並木か。そりゃ楽しみだ。」
【お】「ちなみに・・・。」
【き】「ちなみに?」
【お】「ここ、東俣野の交差点では、東海道とは別の古道が横切っているんだよ。なんだかわかるか。」
【き】「別の古道?」
【お】「鎌倉街道上道。あの新田義貞が鎌倉攻めの際に使用したという道。」
【き】「いざ鎌倉へ!あの新田義貞か。」
【お】「そうそう。鎌倉街道には上道、中道、下道の3つの本道と幾筋もの市道からなっていると考えられているんだ。その内上道は、分倍河原を通り高崎まで伸びていて、この東俣野で東海道と交わっていたとされているよ。その証拠に、近くに庚申塔などの石仏があるらしいよ。」
【き】「へぇー、ということは、ここから鎌倉に行かれるというわけか。」
【お】「そうだね。確かに現在の道路も鎌倉・江の島方面に続いているからね。」
【き】「鎌倉時代の古道と江戸時代の東海道。道の歴史は刻まれているな。」
【お】「鎌倉街道もいつか辿ってみたいものだな。」
【き】「そのうちな。」
鎌倉街道に思いをはせながら、二人は江戸の東海道を遊行寺目指して進んだ。ちなみに、藤沢宿は鎌倉時代の東海道(京鎌倉往還と呼ばれていた)と江戸時代の東海道の接点でもある。

 県道30号線を進むと藤沢市に入り、やがて旧東海道松並木跡の碑が見えてくる。街道沿いには松並木が存在していて、気持ちよく歩ける。道はゆるい下り坂となるが、これが箱根駅伝でも有名な遊行寺坂である。
【き】「おさべえ、藤沢市にはいったぞ。」
【お】「横浜市を抜けたね。」
【き】「おお、前方に松が見えるぞ。」
【お】「あれが藤沢の松並木だよ。」
【き】「行こう。」
きんのじの足が速くなった。松並木を見るときんのじはいてもたってもいられなくなるのであろう。
【き】「大きな石碑があるな。旧東海道松並木跡と刻まれているぞ。」
【お】「ついにきたね。藤沢宿はもうすぐだよ。」
【き】「さあ、松並木を歩こう。」


--6章3節へ続く--

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