6-1 大坂を上り原宿一里塚へ2014/05/04 22:00

第6章 遊行寺の門前町 藤沢宿へ

<登場人物>
 旅人「き」:きんのじ
 旅人「お」:おさべえ

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<目次(リンク)>
 1.遊行寺の門前町 藤沢宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302199
 2.遊行寺坂の松並木
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302197
 3.到着、藤沢宿
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2014/05/04/7302196
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1.大坂を上り原宿一里塚へ
 戸塚駅前。ここが今回の旅のスタート地点となる。この日の行程では横浜市を出て藤沢市に入り、神奈川県も中部へ向かうのである。天候は曇り。雨が心配されているが、行程の半分が国道1号線を歩くことになるため、おさべえにとってはきんのじの愚痴の方が心配であった。
【き】「おさべえ、準備はいいかい。出発するぞ。」
【お】「きんのじ、気合いがはいっているなぁ。」
【き】「そうじゃないけどさ。歩くのが好きだからね。」
【お】「さて、出発しよう。」
 現在の戸塚駅は戸塚宿の中ほどに位置しているため、駅前をスタートした二人はしばらく宿場の中を進むことになる。歩き始めて30分ほどすると、右側に消防署が見えてくるが、その隣に澤邊本陣跡の碑があった。明治天皇の戸塚行在所の碑もあることから、明治天皇が各地を行脚された際に休まれたのであろう。今回最初の史跡である。
【お】「ここが本陣跡か。明治天皇もここで休まれたのだろうな。」
【き】「それにしても、本陣とはどのような建物だったのだろうか。想像がつかないなぁ。」
【お】「絵で見る限りでは、かなり大きな建物のようだけど。」
【き】「見てみたいものだなぁ。」
【お】「東海道筋では、二川宿と草津宿に建物が現存しているそうだよ。」
【き】「二川宿ってどこだ?」
【お】「えっと、この本によると・・・、愛知県だね。」
【き】「愛知県!ここは神奈川県だぞ。」
【お】「まだまだ先というわけだね。」
【き】「先を急ごう。」
【お】「今急いでも変わらないと思うけど・・・。」
本陣跡のあるこの辺りが戸塚宿の中心部であったが、今では駅から少々離れていることもあり、比較的静かな町並みである。駅へ通じる道になっていることもあり、商店が並び、歩くには楽しい場所である。
 本陣を過ぎてしばらく歩くと、右側に神社が見えてきた。街道沿いに鳥居があり、石段を少し上がると本殿がある。
【お】「神社があるなぁ。」
【き】「八坂神社と書いてある。」
【お】「なんでも、毎年お札まきが行われ、その際には女装した10人の男性が歌いながら町内を歩くそうだよ。」
【き】「なんかおもしろそうだな。」
【お】「江戸時代から続いている行事のようだね。」
【き】「へぇ~、由緒ある行事なんだなぁ。」
八坂神社を過ぎて宿場内をさらに進むと、今度は石段が特徴の神社が現れた。鳥居は街道沿いにあるが、本殿は石段を上った先にあるようで、下からでは姿が見えない。
【き】「おお、また神社があるぞ。今度は石段が目立つ神社だな。」
【お】「冨塚八幡宮と書いてあるよ。」
【き】「説明を見ると・・・、戸塚の由来になったようだな。」
【お】「えっと、山頂には古墳があり冨塚と呼ばれていた。この冨塚が戸塚の地名の起こりと言われているのか。なるほど。」
【き】「戸塚の塚は古墳のことだったのか。」
冨塚八幡宮からしばらく歩くと、戸塚宿上方見附跡の碑と説明板があった。ここまでが戸塚宿ということになる。
【お】「上方見附だね。ここまでが戸塚宿ということになる。」
【き】「いよいよ宿場を出るか。」
【お】「それにしても、前回江戸方見附を越えたわけだけど、戸塚宿って結構大きいな。」
【き】「どのくらいの大きさがあったんだ。」
【お】「資料によると、本陣が2軒、脇本陣が3軒、旅籠は75軒あったようだよ。」
【き】「本陣が2軒に脇本陣が3軒か。なかなか規模の大きな宿場だな。」
【お】「当時の旅人にとってちょうど1泊目の距離だったんじゃないかな。」
【き】「なるほど。当時の人はかなりの健脚だったんだなぁ。」
【お】「歩くしかなかったからね。今のように新幹線やバスなどの交通機関がなかったわけだから。」
【き】「文明の利器とはすばらしいものだな。」
【お】「だからこそ、歩く速度で町を見るのは楽しいのかもしれないね。」
【き】「おお、おさべえがまともなことを言ったぞ。」
【お】「あのねぇ。」
【き】「さあ、戸塚宿を出るぞ。目指せ藤沢宿!」
いつになく気合いの入っているきんのじは、上方見附の碑を見てテンションが上がったようである。いつもはおさべえの後について歩くことが多いが、おさべえの前に立って歩き始めた。
 上方見附を過ぎてしばらく進むと、東海道は長い上り坂となる。大坂と呼ばれるこの坂は、比較的ゆるやかではあるものの長く続くため、旅人には少々苦しい坂である。
【き】「おさべえ、上り坂だぞ。だらだらと長そうだ。」
【お】「大坂という坂だよ。」
【き】「大阪?とても食い倒れの町には見えないが。」
【お】「その大阪ではなくて、大きい坂と書く大坂だよ。」
【き】「ああ、大坂ね。」
【お】「わざとボケたんじゃないかい。」
【き】「いやはや・・・。」
【お】「さあ、上ろうか。」
【き】「おさべえ、先に行っていいぞ。おいらは後からついていく。」
【お】「へいへい。」
坂を登り始めてすぐ、街道の右側に石仏群があった。かなり古そうな石仏群である。よく見ると庚申塔であり、中には1714年(正徳四年)や1696年(元禄八年)のものがあった。
【き】「おお、石仏群があるぞ。」
【お】「庚申塔のようだね。相当古いぞ。」
【き】「八基あるな。これはすばらしい史跡だ。」
【お】「きんのじ、楽しそうだね。」
【き】「そりゃそうさ、街道歩きの醍醐味はこうした史跡探しだからな。」
石仏群を後にした二人は、すぐに次の史跡へと足を運んだ。同じく右側に馬頭観音像が建っていたのである。
【お】「次は馬頭観音だね。このあたりは史跡がまとまってあるなぁ。」
【き】「いやはや、これはすばらしい。このようなものがなければ、だらだら続く上り坂だったからね。」
【お】「この馬頭観音、文政九年(1826年)の建立だそうだよ。」
【き】「やっぱり、古道には歴史があるなぁ。これだからやめられない。」
馬頭観音を過ぎると東海道は大坂のてっぺんに到達する。大坂の上という交差点名があるのでわかりやすい。そして、ここから東海道は国道1号線のバイパスに合流する。きんのじにとって退屈な国道歩きの始まりであった。
【き】「ここから国道歩きか。つまらないな。」
【お】「今までも国道1号線だったのだけど・・・。」
【き】「国道であろうとなかろうと、要は史跡があるかどうか。交通量が多いかどうかだね。」
【お】「はっはっは。」
そろそろきんのじの愚痴が始まった。おさべえにとってやっかいな時間が始まろうとしている。

 国道1号線バイパスと合流した東海道は、交通量も増え道幅も広がった。しばらくは幹線道路を進むことになる旅人ではあるが、しばらくすると左側に「お軽勘平道行碑」という史跡らしきものがり、そこで足をとめた。
【き】「「お軽勘平道行碑」なるものがあるぞ。これはなんだ。」
【お】「本当だ。なんの碑だろうか。」
【き】「なになに、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんで建てられた碑と書いてあるぞ。」
【お】「東海道というよりは歌舞伎に関する碑ようんだね。」
【き】「なんだ。東海道とは関係ないのか。ならいいや。」
【お】「こらこら。これだって関係あるんだから、そう言いなさんな。」
【き】「へいへい。」
二人にとっては謎の「お軽勘平道行碑」を過ぎると、やがて吹上の交差点に着く。交差点を越えると左側の塀の中に「原宿の一里塚」の説明版があり、ここにかつて一里塚があったことを伝えている。
【き】「一里塚だ。」
【お】「原宿の一里塚だね。」
【き】「原宿・・・。あの若者でにぎわう・・・・」
【お】「違うよ。その原宿ではありません。」
【き】「言ってみただけさ。」
【お】「日本橋より11里。付近には茶屋があり原宿と呼ばれるようになったそうだよ。」
【き】「国道の拡張に伴い、塚がなくなったんかなぁ。」
一里塚の反対側には浅間神社がある。この付近にあった原宿村の珍種で、鳥居は安永5年(1777年)の建立である。境内の椎の木は横浜市の名木に指定されている。


--6章2節へ続く--

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