5-1 いよいよ権太坂を超える2013/06/25 14:41

第五章 難所、権太坂を超えて戸塚宿へ

<登場人物>
 旅人「き」:きんのじ
 旅人「お」:おさべえ

----------------------------------------------------------------------
<目次(リンク)>
 1.いよいよ権太坂を超える
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876448
 2.品濃一里塚を越えて西へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876449
 3.大山道道標、そして戸塚宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876450
----------------------------------------------------------------------


1.いよいよ権太坂を超える
 朝から快晴。気持ちのよい青空が広がる昼下がり。旅人は保土ヶ谷宿にいた。東海道を歩き始めて5日目。この日は東海道最初の難所、権太坂を超えるのである。
 箱根駅伝でも有名な権太坂は、比較的平坦な東海道の中でも、江戸に近い難所として知られている。特に旧東海道の道筋は坂も急で現在でも難所となっている。そんな権太坂の由来は「農夫は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたこと」と言い伝えられている。

 さて、権太坂を控えた旅人はどうしているかというと、京側の見附に立っていた。身支度(といってもカメラをセットして地図を手に持つだけだが)を整え、いよいよ出発するようである。
【き】「おさべえ、いよいよ権太坂だな。」
【お】「そうだな。東海道最初の難所と言われている坂だからね。心して行った方がよいだろうね。」
【き】「おし、気合い入れて行こう。」
【お】「おいおい、そんなに気合い入れなくても大丈夫だよ。」
きんのじは、いつになく気合いが入っていた。まるで一山越えてやろう、そういった感じである。
 保土ヶ谷宿を出て国道1号線を進むと、やがて右側へ分岐する道が現れる。東海道はここで国道1号線から分岐し、旧道となって続く。旧道は交通量も少なく比較的歩きやすい。晴天も手伝ってか、旅人の足取りは軽やかである。旧道はほどなくして突き当たるが、東海道はここで一旦左折をする。ちなみに、右を見ると東海道線のガードを越えた先で急な坂になっている。実はこの道、保土ヶ谷の手前、松原商店街付近で右に分岐していた「古東海道」である。もともと保土ヶ谷宿は今よりも山側にあったが、交通量の増加により慶安六年(1648年)に改修され、現在の位置へ移動したのである。
 さて、旅人はここで一旦迷うことになる。昔は一本道でったであろうこのあたりであるが、今はT路交差点。左に行くことはわかるのだが、その先がわからない。おさべえは地図とにらめっこをしながらルートを探すのである。
【き】「おさべえ、この先の道筋はわかったか?」
【お】「地図を見ると左折した後に右折となっているよ。とりあえず目の前の信号をわたって反対側へ行こう。」
おさべえときんのじは、目の前の横断歩道をわたった。すると、スーパーの下に旅人を見守る道祖神があった。
【お】「道祖神があるということは、ここが街道である証拠だね。」
【き】「ん、道祖神の先に右へ入る道があるぞ。そこじゃないのか。」
【お】「そうかもしれない。とにかく行ってみよう。」
道祖神のあるスーパーの先で右へ入る道がある。旅人はとりあえずそこまで行ってみることにした。
【き】「おお、すごい坂だぞ。」
【お】「本当だ。かなり急な坂が続いているな。もっとも、この辺りは起伏に富んでいるため、こういった坂が多いんだろうな。」
【き】「おさべえ、この道の息吹を聞いてろや。東海道だぞって言っているように思えないか。」
【お】「ん、なんじゃそりゃ。」
【き】「この坂、きっと東海道だ。さあ、上ってみよう。」
【お】「おいおい。」
今日のきんのじは気合いが違う。右へ入る道はすぐに急坂となり先へ続いている。坂の上がどのようになっているのか、まったく見ることができないほど、その坂は急である。比較的直線的に上るこの道に、きんのじは東海道を見たのである。やがてそれは確証へとつながった。急な坂を上り始めてしばらくすると、左側に「権太坂改修記念碑」が立っていた。東海道のことが直接書かれているわけではないが、国道1号線との関連があることから、ここが旧道であることが想像できた。
【お】「間違いない。この道が東海道だ。」
【き】「やっぱりな。そうだと思ったよ。」
【お】「きんのじ、感が冴えているな。」
【き】「はっはっは。」
【お】「さっき出てきた旧道とここは繋がっていたのだろうな。現代になって道路が改修されて区画整理されたことで、ややわかりにくい道になってしまったのだろう。」
【き】「さあ、先を行こう。」
いつもとは逆で、今日はきんのじが先導している。いったいきんのじに何があったのだろうか。それはさておき、ここで権太坂の由来にふれておこう。この坂が権田坂と言われているのにはいくつかの由来があるようだが、”旅人が農夫に坂道の名を聞いたところ、農夫は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えた”ことが、権太坂の由来として語り継がれている。上り始めてから光陵高校あたりまでを一番坂、養護学校から境木あたりまでを二番坂と呼ばれている。
 気合いの入っているきんのじを先頭に進む二人ではあるが、東海道の難所として語り継がれているだけあって、なかなかのキツさである。上り始めてそれほど時間は経っていないが、きんのじの気合いはどこかへ言ってしまったようだ。話しながらというよりは黙々と進んでいると、右側に「権太坂」と書かれた石柱が立っていた。
【お】「石柱が立っているぞ。権太坂と書いてある。」
【き】「やっぱり難所だな。権太坂は。箱根駅伝に出てくる権太坂はこんなに急じゃないぞ。」
【お】「それは国道1号線だからだよ。」
【き】「それより、この右は学校か?グランドのようだが。」
【お】「光陵高校と書いてある。」
【き】「高校か。ここまで通うのは大変だな。毎日この坂を上り下りするんだろう。」
【お】「そうだな。ここまでかなり上ってきたけど、まだ上が見えないからね。」
【き】「まあ、高校生だからね。体力のある年頃なら、この程度の坂は問題じゃないかもしれないな。」
光陵高校を過ぎると権太坂はいくぶん傾斜が緩やかになる。そして一旦平坦になるが、養護学校あたりから再び上り坂となる。
【き】「平坦になったかと思ったら、また上りか。いったいいつまで上るんだ。」
【お】「だけど、だいぶ上ってきたみたいで、民家の隙間から見れる景色はなかなかいいぞ。」
【き】「どれどれ、本当だ。眺めがいいな。」
【お】「この坂を上りきると頂上じゃないかな。さあもうひと踏ん張り。」
【き】「へいへいい。」
養護学校からの上りはそれほど急ではなかった。やがて平坦になると右側にバス停が現れた。
【き】「お、バス停があるぞ。」
【お】「どうやら権太坂を上りきったようだな。」
【き】「ふー、意外に急で長い坂だった。」
【お】「バス停は境木、この先で東海道は右へ向かうみたいだよ。」
【き】「ああ、ビールが飲みたい。」
【お】「おいおい、まだ早いぞ。旅は始まったばかりじゃないか。」
権太坂を上りきっただけでガス欠状態のきんのじであったが、戸塚宿はまだまだ先である。小休憩をした旅人は先を急ぐことにした。
 東海道は、ここからしばらく交通量の多い道を進む。それほど広い通りではないが交通量が多いため、車に用心しながらの旅となる。途中には黒門が立派な民家があり、その立派さに旅人は足を止めた。
【お】「おお、ずいぶんと立派なたたずまいだな。」
【き】「このあたりの地主かなにかの家かね。」
【お】「うーん、詳しくはわからないけど、力のある人の家かもしれないな。」
この黒塀の家は、かつてこの辺りの名物であった「牡丹餅」を売っていた若林家である。今もかわらず威風堂々とした門は見事であるが、交通量の多い道だけに、門を撮る際には注意していただきたい。


--5章2節へ続く--

5-2 品濃一里塚を越えて西へ2013/06/25 14:43

<目次(リンク)>
 1.いよいよ権太坂を超える
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876448
 2.品濃一里塚を越えて西へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876449
 3.大山道道標、そして戸塚宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876450
----------------------------------------------------------------------


2.品濃一里塚を越えて西へ
 さて、黒塀見事な邸宅を過ぎると、やがて道は左に分岐する。右側には「境木地蔵尊」がある。階段を上った上にお堂があるのだが、地蔵尊の名前が示すように、このあたりは武蔵と相模の国境付近になっていた。
【お】「きんのじ、右側に地蔵尊があるぞ。これが境木地蔵尊だよ。」
【き】「境木地蔵尊。名前から言って、なんかの境のようだな。」
【お】「武蔵野国と相模国の境らしい。」
【き】「ということは、ここから相模国に入るというわけか。」
【お】「そうだね。」
【き】「いやー、武蔵は広かった。」
【お】「どうだろう。せっかくだから少し休んでいかないか。」
【き】「いいねえ。」
旅人は地蔵尊に寄るみたいである。正面の階段を上るとお堂があり、ちょっとした広場になっている。近くにベンチがあるので、二人は腰を下ろした。周囲には木が生えており、吹く風が心地よい。しばしの休憩タイムであった。
【き】「風が気持ちいいな。ところでおさべえ。」
【お】「ん?」
【き】「この先で道がわかれているようだが、東海道はどっちだ?」
【お】「車の多い道は環状2号線に繋がる道。なので、左の道が東海道だね。」
【き】「おおそうか。」
【お】「さてと、そろそろ行きますか。」
おさべえの言葉を合図に旅を再会した二人。境木地蔵尊を出発すると左へ分岐する道を進む。道は下り坂となって続いている。この坂は「焼餅坂」といい、このあたりにあった立場で焼いた餅や牡丹餅などを売っていたことから、このような名が付いたとされている。
【き】「下り坂だな。焼餅坂と書いてあるぞ。餅か・・・。食べてみたいな。」
【お】「はっはっは。きんのじは餅とそばとビールには目がないからな。それにしても焼餅坂なんて、おもしろい名前だな。どんな由来があったのだろう。」
【き】「さしずめ、餅を焼いていたといったところだろう。
【お】「そのままじゃないか、きんのじ。」
【き】「そのままが案外由来かもしれないよ。ほら。」
【お】「ありゃりゃ、本当だ。境木に立場があって餅を焼いている店があったのか。きんのじの感があたったよ。」
【き】「まあね。」
【お】「さあ、先へ進もう。戸塚宿まではまだ先が長いからね。」
二人は焼餅坂を下った。坂を下りきると右に道が別れ、その先には小さな橋がある。橋を越えると再び上り坂となって道は続いている。どうやら、小さな川(沢みたいなものなのだろう)が削ったバレーのようである。坂を上りきると、いよいよ今回のハイライト品濃一里塚が待っているのである。
【き】「小さな川だな。川の先は上り坂か。」
【お】「きっとこの川が削った地形なんだろうな。」
【き】小さいのにたいしたもんだ。水というのは。」
【お】「いよいよだぞきんのじ。この坂を上りきると一里塚がある。東海道を歩いてきてはじめて見る本物の一里塚だよ。」
【き】「おお、本物か。さあ行こう。」
はやる気持ちをおさえつつ、二人は坂を上った。住宅街の中を行くと左右に木立のある公園らしきものがあった。右側は丘のようになっており、左側は崖のようになっている。右側の丘の麓には「品濃一里塚」と書かれていた。
【お】「おお、これが一里塚だ。神奈川県ではここだけ残っている本物の一里塚。しかも左右に残っている。」
【き】「ということは、このこんもりした丘みたいなのが塚というわけだな。左側は崖のようになっているが、これも塚なのか。」
【お】「それにしても大きい。こんなに一里塚って大きいのか。」
【き】「想像以上に大きいぞ。」
【お】「右側の塚は右の小道より回り込んで行けそうだ。いってみよう。」
京を進行方向とした場合、右側にある塚は右の小道より回り込んで塚の上に行かれるようになっている。旅人は塚に上ってみた。
【お】「おお、円錐形の塚になっている。これぞ一里塚。」
【き】「しっかし、こんなに大きいとはね。これなら確かに旅人の目印になるよな。」
その大きさに圧倒される二人であったが、それもそのはず。この品濃一里塚は通常の一里塚よりも大きいのである。通常は9メートル四方なのだが、ここの一里塚は16メートル四方あるのである。このあたりは、東海道が平戸村と品濃村の境になっており、右側の塚は品濃村、左側の塚は平戸村の塚となっている。
【お】「塚の裏が公園になっているのはいいね。対岸の左側の塚も回り込めるのだろうか。」
【き】「一旦東海道に戻ってみよう。」
二人は東海道に戻った。そして左側の塚を調べるが、回り込める小道は見当たらない。
【お】「回り込むのは無理なのだろうか。」
【き】「なあおざべえ。地図を見ると左側の塚を挟んで道があるぞ。この先に小さな交差点があるので、左に行けば塚を挟んだとなりの道に行けるんじゃないか。」
【お】「行ってみよう。」
二人は一旦東海道を先に進んだ。すぐに小さな交差点となり左折をする。するとすぐに左へ入る道がある。位置的に東海道と並走している感じである。二人はその道に入る。少し進むと「一里塚山公園」と書かれた公園があった。
【き】「おさべえ、一里山公園とかいてあるぞ。」
【お】「まさにこれだ。」
【き】「公園の中に塚があるじゃないか。」
【お】「こうしてみると、ちゃんとした塚になっているぞ。」
二人は公園の中に入った。公園の中央には巨大な塚があり、東海道に面していることがわかる。公園からは東海道を見下ろすような形になり、対岸に品濃村側の一里塚が見える。あらためてその巨大さが見て取れる。
【お】「こうして見ると、ものすごく巨大だ。だけど、これほどの大きな塚がよく残ったな。」
【き】「周辺は宅地開発されているのにあっぱれ。人間、やれば出来るってもんだな。」
【お】「ちょっと違うような・・・。」
一里塚を堪能した二人は、再び東海道に戻り戸塚宿を目指して歩を進めた。東海道はしばらく高台を進む。権田坂からの尾根が続いているようで、品濃村側(つまり右側)は谷になっているようである。谷底には環状2号線が走っているためか、東海道の交通量は少なく比較的歩きやすい。しばらく歩くと果樹園の横を歩く事になり、ここが横浜市内であることを忘れてしまう。
 果樹園を過ぎると分岐点にさしかかる。東海道は右方向へ向かい坂を下る。道はカーブを描き台地を下ってゆくが、途中から直進して階段となる道がある。これが東海道である。
【き】「おさべえ、これが東海道か。階段になっているが。」
【お】「東海道だよ。ここは品濃坂といって権太坂で上った分を下ることになるね。ほら、ここに立派な石碑があるぞ。」
【き】「本当だ。品濃坂と書いてある。」
【お】「当時は坂だったのだろうけど、環状2号線を作った際に分断されたんだろう。せめてもの償いとして階段と歩道橋で歩行者は通りを渡れるようになっているんだろうね。」
【き】「そのようで。」
【お】「さて、進みますか。」
東海道は階段と歩道橋となって品濃坂を下り、環状2号線を越える。歩道橋を渡り終えるとすぐに右へ入る道がある。対岸の品濃坂から一本のラインを引くと繋がっているように見える。
【お】「東海道はここを右に入る道だな。」
【き】「でも、すぐに分岐があるぞ。東海道はどっちだ。」
【お】「地図を見る限りでは左だね。元々は一本道だったのかもしれないが、区画整理をされるなどしてわかりにくくなってしまったのかもしれないな。」
【き】「よし、おさべえの言葉を信じて、左の道を進みますか。」
【お】「おいおい、プレッシャーをかけるなよ。」
環状2号線から右へそして左へ進むと、しばらく品濃坂の続きのように坂道が続く。坂を下りきると平坦な一本道となるが、しばらくすると右側に用水路(川)が現れるので、この用水路に沿う形で先へ進むことになる。この間、これといった見物があるわけでもなく、ひたすら先を目指す時間が続く。やがて国道1号線との交差点となるので、国道1号線を横断しさらに用水路沿いに進むと、赤関橋がある。
【き】「橋か。赤関橋と書かれているな。道が分かれているぞ。」
【お】「右は国道へ、なので左が東海道だね。」
およそ300メートルくらい進むと、結局東海道は国道1号線に合流してしまった。ここから先は国道歩きとなる。こうなるときんのじのぼやきがはじまる。
【き】「国道1号線に合流しちゃったよ。交通量は多いし歩道は狭いし、東海道じゃないなこりゃ。」
【お】「まあまあ、そうぼやくなって。昔は人の歩く道でも今は車中心の社会なのだから。ちょっと苦痛だけど一歩一歩進もう。」
おさべえはきんのじをなだめながら交通量の多い国道1号線を戸塚宿目指して進んだ。


--5章3節へ続く--

5-3 大山道道標、そして戸塚宿へ2013/06/25 14:43

<目次(リンク)>
 1.いよいよ権太坂を超える
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876448
 2.品濃一里塚を越えて西へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876449
 3.大山道道標、そして戸塚宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2013/06/25/6876450
----------------------------------------------------------------------


3.大山道道標、そして戸塚宿へ
 日が傾き始めた頃、おさべえときんのじの行く手には巨木が現れた。国道脇の民家に植わっている木のようだが、その大きさに圧倒される。案内板がありモチの巨木であることがわかった。巨木のある家は益田家と記されている。
【き】「おさべえ、ものすごく大きな木があるぞ。」
【お】「どれどれ、本当だ。かなり大きな木だな。何の木だろう。」
【き】「案内板にはモチの木と書いてあるぞ。木の植わっている民家は益田家だそうだ。」
【お】「由緒ある家柄なのだろうか。」
【き】「うーん、あまりピンとこないけどなぁ。とりあえず巨木は見事だということで、先へ進もう。」
あまり興味を示さない旅人だが、日も傾きかけてきたので、先を急ぐことにした。
【お】「ん、きんのじ。対岸になにか社のようなものがあるぞ。」
【き】「どれどれ、本当だ。行ってみよう。」
モチの巨木のある益田家とは反対側に側道があるが、そこに社のようなものをおさべえは発見した。早速信号を渡り反対側へ行ってみることにした。
側道を入ると、そこには石碑やら社やら、立派な史跡が建っていた。よく見ると「大山道」という文字が見えることから、道標のようである。
【お】「きんのじ、これは大山道の道標だな。」
【き】「本当だ。ということは、この側道は大山道か。」
【お】「ここから大山の阿夫利神社まで通じているわけだな。一度は行ってみたいものだな。」
【き】「よし、じゃあ今から行こう。」
【お】「本気かい?」
【き】「冗談さ。」
【お】「やっぱりね。」
大山道は、大山にある阿夫利神社への参拝道の総称である。江戸時代、大山への参拝といえば庶民の娯楽の一つでもあった。神奈川県内を通る東海道からは、特に大山道の分岐が多い。やぱり、東海道は最も往来の多い道であったためだと思われる。
【お】「それにしても、大山どはどんなところなのかな。」
【き】「途中まで階段があるんだよ。伊香保温泉みたいに。階段の左右には店があってさ。登り切るとケーブルカーがあるんだ。そのケーブルカーに乗って途中まで上るわけさ。」
【お】「ん、いやに詳しいな。きんのじ。」
【き】「まあね、一度行ったことがあるからね。」
【お】「なんだ、すでに行っていたのか。」
【き】「結構いいとろこだぞ。今度行ってみな。」
【お】「そうするよ。」
【き】「さて、先を急ごうか。」
【お】「ちょっとまって。写真を撮っていくよ。」
【き】「おお、そうだった。おさべえは証拠写真を撮っているんだったな。思う存分撮ってくれ。」
【お】「証拠写真とは大げさな。」
【き】「それにしても、ここの分岐は立派だねぇ。」
【お】「確かに。鳥居のあった分岐も見事だったけど、ここには社があるしね。」
一通り写真を撮ると、おさべえはきんのじに合図をした。旅人は再び戸塚宿を目指して国道1号線を歩き始めた。益田家を過ぎるとすぐに不動坂の分岐となり、旧東海道は左側の道となる。旧道をしらばく進むと、立派な門構えの民家がある。
【き】「おお、すごく立派な民家だ。」
【お】「民家というよりは酒造みたいなものなのかもしれないな。」
【き】「そのようにも見えるな。」
【お】「これだけ立派な建物なんだから、普通の民家じゃないかもね。」
【き】「気になるけど、日の傾きの方がもっと気になるので、先へ進もう。」
立派な家に興味をひかれつつも、日の傾きが気になる旅人は旧道をあしばやに過ぎ去る。しばらく歩くとT路地にぶつかる。旧東海道は右へ右へ曲がり国道1号線に合流する。再び国道歩きとなる東海道は、夕方でもあるのか、かなり交通量が多い。
【き】「国道か・・・。」
【お】「ん、国道だけど何か?」
【き】「旧道は短かった。はかない旧道の命もつきたか。」
【お】「あん、なんじゃそりゃ。」
【き】「やっぱり国道は苦痛だ。歩道があってもこの交通量。煤煙をすいながらの旅は苦痛でしかない。」
【お】「ああ、いつものぼやきか。国道歩きとなると決まってぼやくな、きんのじは。」
【き】「旧道の楽しみが国道にはないと思わないか。」
【お】「まあ、その気持ちはわかるけどね。でも、ガイドブックを見るとこの先はずっと国道1号線を歩くみたいだぞ。」
【き】「なんと。ゴールは国道1号線か。まるで箱根駅伝のようだ。」
【お】「ん、なんかよくわからないぞ。まあいいや。とにかく先を進もう。戸塚宿までかなり近づいてきたようだから。」
ぼやくきんのじをせかしながら、おさべえは先を急いだ。東海道は国道1号線となり戸塚宿へ向かう。退屈な国道歩きではあったが、しばらくするとファミリーレストランの横に石碑を見付けた。そこには「戸塚宿江戸方見付け」と書かれている。
【お】「きんのじ、江戸方見付け」と書いてあるぞ。」
【き】「おお、やっと戸塚宿だ。いやー、長かった。」
【お】「ここから宿場か。国道1号線なので仕方ないけど、なんとも味気ない宿場入りだな。」
【き】「いやー、本当に。」
【お】「でもまあ、石碑が建っているだけましか。」
【き】「そういうこと。さあ、宿場に入ろう。」
江戸方見付けを過ぎたことで、旅人は戸塚宿に入った。保土ヶ谷宿から権太坂を超えてやってきたのだが、今日のゴールまではまだ先があることを、忘れかけているようである。
【き】「いやー、宿場に着いたぞ。」
【お】「なあ、きんのじ。」
【き】「ん?」
【お】「宿場にはいったけど、まだゴールじゃないからね。」
【き】「おお、そうか。で、今日のゴールはどこだっけ?」
【お】「戸塚駅だね。ちょうど東海道、つまり国道1号線と東海道線が交差しているところが駅なので。」
【き】「なるほどね。じゃあ、まだ先があるってわけか。」
【お】「そういうこと。もう一踏ん張りしよう。」
【き】「そうだな。ゴールさへすれば、あとはうまいビールが待っている。」
【お】「はやくもビールか。」
ゴールという言葉を聞くと、きんのじの頭の中はビールで支配されるようである。

 さて、東海道はこのまま国道1号線を進むことになる。先ほどの不動坂のところで国道1号線はバイパスが分岐しており、戸塚駅前を通る国道1号線の交通量は次第に減ってきている。歩道と車道が分かれている点では、旧道よりも歩きやすいかもしれない。
 江戸方見付けからしばらく進むと一里塚の案内板が建っていた。品濃一里塚から4キロきたことになる。戸塚一里塚は江戸からちょうど10里に位置している。1里約4キロの計算でいくと、ようやく40キロきたことになるのである。
【お】「お、一里塚だ。」
【き】「戸塚一里塚か。あの巨大な品濃一里塚から4キロということになるな。」
【お】「ちなみに、江戸から数えて10里目となるので、40キロきたことになるな。」
【き】「40キロか。ずいぶんきたように思えるけどさ、京都までは約500キロだろ。まだまだ先は長いなぁ。」
【お】「まあね。4キロ歩いただけでもずいぶんきたなぁと思うくらいだからね。」
【き】「そうか。あと何回ビールが飲めるんだろう。ゴールする回数だけ飲めるというわけか。」
【お】「おいおい、ビールかい。」
【き】「そうさ。ビールは大切なガソリンだからね。」
【お】「へいへい。でもまあ、まだまだ楽しめるってわけだよ。」
戸塚一里塚を過ぎるとしばらく史跡のない区間が続く。やがて前方に橋が見えてきた。近づくと「吉田大橋」と書かれている。
【き】「吉田大橋か。大橋の割には小さいな。」
【お】「いやいや、このあたりでは比較的大きい橋なんだよ。」
【き】「前方は東海道線か。踏切があるぞ。」
【お】「この橋を渡ると戸塚の踏切。つまり戸塚駅だよ。」
【き】「やったぞ。今日のゴールだ、ビールが待っている。」
おさべえは苦笑いをしながら、先導して橋を渡った。きんのじもおさべえについて橋を渡った。橋を渡り終えると目前に踏切が現れる。東海道線と横須賀線の踏切であり、左側は戸塚駅である。
戸塚宿は、駅のすぐ横を通っている国道1号線上となるため、鉄道の駅から最も近い宿場とえいるのではないだろうか。そんな宿場の中心部が、現在の戸塚駅周辺のようである。
【お】「踏切をわたり終えたぞ。今日はここまでにしよう。」
【き】「本陣の案内はなさそうだな。」
【お】「ガイドブックによるともう少し先にあるみたいだよ。」
【き】「なるほど。本陣はもう少し先か。まあ、今日はここまでにするか。」
【お】「そうだね。きんのじもビールを飲みたそうだし、駅前でもあるので、ここを今回の終了地点としようか。」
【き】「ご苦労さん。」
どうやら、旅人は戸塚駅前で今回の旅を終えたようである。権太坂を超える今回の行程は、二人にとって少し長く感じたようである。終了地点の写真を撮り、二人はビールの待つ東京都内へ向けて、戸塚駅から電車に乗った。


第六章へ続く