二つの街道の接点????? ― 2005/10/26 01:05
横浜市戸塚区、藤沢市にほど近いところに、東俣野という地名があります。ここは、藤沢方面へ向かう県道と国道1号線が合流する地点でもあり、交通量のかなり多い交差点です。
鎌倉時代に作られた古道、鎌倉街道上道と江戸時代の東海道が交わるところが、この辺りと考えられます。その根拠として、鎌倉時代、上州と鎌倉を結んでいた上道は、鎌倉を出ると藤沢宿を通っていました。藤沢宿は遊行寺の門前町として栄えたところであり、江戸時代に東海道が整備されると、やはり宿場が出来ました。つまり、ずれはあるものの、非常に近い位置を通っていたことが考えられます。
鎌倉街道は、江戸時代にはかなり壊されてしまっているため、どの辺りを通っていたのか定かではありませんが、遊行寺付近では、藤沢本町駅方面と鎌倉・江ノ島方面の道に分かれることからも、当時から道があったことがうかがえます。
写真は、東俣野の交差点です。車の多い道が国道1号から分岐している県道で、江戸時代の東海道となります。正面に見える細い道が、鎌倉街道上道ではないかと思われます。上道のルートを現在の地図と照らし合わせて見ると、なんとなくたどれます。
あくまでも自分で勝手にたてた推測ですが、当時のルートを思いながら見ると、道もおもしろいものです。
鎌倉時代に作られた古道、鎌倉街道上道と江戸時代の東海道が交わるところが、この辺りと考えられます。その根拠として、鎌倉時代、上州と鎌倉を結んでいた上道は、鎌倉を出ると藤沢宿を通っていました。藤沢宿は遊行寺の門前町として栄えたところであり、江戸時代に東海道が整備されると、やはり宿場が出来ました。つまり、ずれはあるものの、非常に近い位置を通っていたことが考えられます。
鎌倉街道は、江戸時代にはかなり壊されてしまっているため、どの辺りを通っていたのか定かではありませんが、遊行寺付近では、藤沢本町駅方面と鎌倉・江ノ島方面の道に分かれることからも、当時から道があったことがうかがえます。
写真は、東俣野の交差点です。車の多い道が国道1号から分岐している県道で、江戸時代の東海道となります。正面に見える細い道が、鎌倉街道上道ではないかと思われます。上道のルートを現在の地図と照らし合わせて見ると、なんとなくたどれます。
あくまでも自分で勝手にたてた推測ですが、当時のルートを思いながら見ると、道もおもしろいものです。
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