ロッテ3連勝で王手!2005/10/26 00:45

日本シリーズ、ロッテが3連勝で日本一に王手を掛けましたね。驚きました。しかも、3試合全て2桁得点ですからね。プレーオフの勢いそのまま、日本シリーズを勝ち進んでいますね。タイガースは一矢報いることができるのでしょうか。タイガースよ、がんばれ!

国分寺市黒鐘公園に残る古道、鎌倉街道2005/10/26 00:50

東京都国分寺市、武蔵国分寺跡の近くには、旧鎌倉街道上道が残っています。鎌倉街道は、その名の通り、関東各地から鎌倉へ通じる道として、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際に作られました。

「いざ!鎌倉へ」。鎌倉で何かがあった時には、関東各地から武士達が、鎌倉街道を駆け抜けて鎌倉へ向かいました。

鎌倉街道は、主要3ルート(上、中、下)と、京都と鎌倉を結ぶ京鎌倉往還(後の東海道)、そして、主要ルートの周辺にいくつもあった側道や間道からなっています。黒鐘公園に残る旧鎌倉街道は、主要3ルートのうちの一つ、上道とされています。このルートは、鎌倉から現在の高崎付近を結んでいたとされ、新田義貞が北条氏を打つ際に使用したと伝えられています。現在でも各地に残っていますが、通してたどることはできません。分倍河原合戦跡も、この上道ルート上にあります。

写真は、黒鐘公園内の旧鎌倉街道です。数百メートルですが、どうです。舗装されているものの、この切り通し。古道の雰囲気が出ていますよね。

二つの街道の接点?????2005/10/26 01:05

横浜市戸塚区、藤沢市にほど近いところに、東俣野という地名があります。ここは、藤沢方面へ向かう県道と国道1号線が合流する地点でもあり、交通量のかなり多い交差点です。

鎌倉時代に作られた古道、鎌倉街道上道と江戸時代の東海道が交わるところが、この辺りと考えられます。その根拠として、鎌倉時代、上州と鎌倉を結んでいた上道は、鎌倉を出ると藤沢宿を通っていました。藤沢宿は遊行寺の門前町として栄えたところであり、江戸時代に東海道が整備されると、やはり宿場が出来ました。つまり、ずれはあるものの、非常に近い位置を通っていたことが考えられます。

鎌倉街道は、江戸時代にはかなり壊されてしまっているため、どの辺りを通っていたのか定かではありませんが、遊行寺付近では、藤沢本町駅方面と鎌倉・江ノ島方面の道に分かれることからも、当時から道があったことがうかがえます。

写真は、東俣野の交差点です。車の多い道が国道1号から分岐している県道で、江戸時代の東海道となります。正面に見える細い道が、鎌倉街道上道ではないかと思われます。上道のルートを現在の地図と照らし合わせて見ると、なんとなくたどれます。

あくまでも自分で勝手にたてた推測ですが、当時のルートを思いながら見ると、道もおもしろいものです。

ロッテ4連勝で日本一2005/10/26 23:17

ロッテが決めましたね。4連勝で日本一はすごい。今回のシリーズは、ロッテのいいところばかりが目立ってしまったように思えますね。プレーオフの勢いそのままに日本シリーズも駆け抜けた感じがします。阪神はいいところがなかったけど、来年もう一度日本シリーズに出場して、日本一をとってほしいですね。