1-3 最初の宿場、品川宿へ2012/10/09 00:55

<目次(リンク)>
 1.真夏の日本橋を出発
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/09/6597410
 2.幹線道路にある東京の史跡へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/09/6597409
 3.最初の宿場、品川宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/09/6597402
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3.最初の宿場、品川宿へ

 高輪大木戸跡、つまり”大木戸”を出た二人は、いよいよ京都三条大橋までの、東海道53次の旅に足を踏み入れた。ここからが本当の東海道。長き旅の始まりである。
【き】「大木戸を出たな、おさべえ。ようやく東海道の旅が始まった、といったところかな。」
【お】「ああそうさ。いままでは、自宅から東京駅へ向かっていたといった感じだろう。ここから、京へ向けて新幹線が出発したといっても過言じゃないだろうね。」
新幹線とは、描写が極めて現代風ではあるが、この時はまだ”歩く”本当の楽しさを二人は知らなかった。

 大木戸を過ぎると、すぐに泉岳寺の交差点に着く。都営浅草線と京急の接続駅のある泉岳寺交差点には、交差点名となった泉岳寺が近くにある。泉岳寺は、赤穂浪士で有名な寺で、これもまた、東海道に面した寺の一つである。
【お】「泉岳寺か。泉岳寺の近くに大木戸跡のような史跡があるとは、今日まで気づかなかったよ。きんのじは知っていたか?」
【き】「ああ、知っていたよ。ただ、今日ほどじっくりと見たことはなかったけどな。」
 おさべえは、普段から泉岳寺付近を通過している。にもかかわらず、大木戸跡の存在には気づいていなかったらしい。おさべえにとって、大木戸跡の史跡は”最初の大きな発見”であった。

 泉岳寺を超えると、いよいよ品川が近づく。このあたり、おさべえにとっては毎日バスや電車で通っている場所であり、何度も歩いている区間である。特に見所はない。
 前方に、品川プリンスホテル、パシフィックホテルなど、品川の高級ホテルの建物が見えてくると、そこは品川駅である。上野や東京、新宿などと同様のターミナル駅であるが、他と比べると地味な存在である。しかし、現在では新幹線も停車する一大ステーションとして発展を遂げている。再開発によって誕生した高層ビル群、その近くには、江戸時代から続く宿場町。新旧が織りなす楽しい町でもある。

 さて、品川駅を横目に、東海道は八つ山へ向かってゆるやかな上り坂となる。左側には京急の高架と掘り割り状になったJRの品川駅構内が続く。八つ山はその名の通り”山”であり、鎌倉時代には”鎌倉街道”が八つ山から続く尾根づたいを通っていた。
【き】「今は電車が走っているけど、江戸時代は本当に山だったんだろうな。」
【お】「きんのじの言うとおりだろう。もともとは山だったところを削って、鉄道や道路が走っているんだろうね。」
【き】「このあたりはよく知っているぞ、八つ山の交差点で左に曲がり、JRを超えて京急の踏切を渡っているのが東海道だろ、おさべえ。」
【き】「正確に言うと、この2車線の道ではなくて、その右側にある細い一本の道だな。」
【お】「そうそう、そして、あの道こそ品川宿だ。」
【き】「今日の目標は達成だな、おさべえ。」
【お】「いいや、あと少し。宿場に入ってこそ、目標達成だよ。」
 八つ山の交差点を左折し、2車線の道を進む。直ぐに京急の踏切があり、道路はまっすぐに坂を下る。しかし、まっすぐに行く道は東海道ではなく、その右側にもう一本細い道がある。そこが東海道の品川宿である。
 このあたり、少々わかりにくいが、この二人にとっては知っている場所であり、迷わずに品川縮へ入ることが出来た。ここから、いわゆる”旧道”が始まるのである。

 さて、宿場についた二人は、ゆっくりとした速度で歩を進める。宿場には、高札場跡や本陣・脇本陣・旅籠などの跡を示す木抗や石碑、説明版などがあるため、見落とさずに進むためである。
【お】「品川の商店街は、何度も来ているし、ここが品川宿であることも知っている。けど、東海道を意識して来てみると、やっぱり違った感じがするな。そう思わないか、きんのじ。」
【き】「そうだな。いままでは意識していなかったけど、こうして意識してみると、江戸時代、多くの人で賑わった宿場のにぎわいが伝わってくるようだよ。」
【お】「そうそう、きんのじなら知っているだろうけど、この品川宿は江戸四宿の一つで、京から江戸に来た旅人にとっては最後の宿場。身支度を整える場所でもあったそうだよ。そのため、旅籠数も多かったらしいよ。」
【き】「高輪の大木戸からそれほど距離がないので、江戸に入る前の身支度を整える宿場、ということか。なるほど。」
【お】「ちなみに、江戸四宿に数えられた、中山道の板橋宿、日光・奥州街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿も、似たような役割だったそうな。」
【き】「ほう、そうか。さそがし賑わっていたのだろうな。」
【お】「この四宿、いまも賑わっているけどね。」
 江戸四宿とは、おさべえが説明しているように、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光・奥州街道の千住宿、甲州街道の内藤新宿のことを指している。いずれも、江戸の手前に位置し、旅人にとって江戸へ入るための身支度を整える宿場でもあった。
【お】「さてと、そろそろ日も傾いてきたころだし、適当な場所で終えようか。できれば、次回スタートするのにわかりやすいところがいいな。」
おさべえは、適当な目印を探して宿場内を進む。宿場にはいて直ぐ、小さなT字交差点の角に「問答河岸跡」の碑が建っていた。
【お】「よし、ここで終えよう。そろそろ空も怪しげだし。」
おさべえは、この場を今回の終了地点、つまり、次回のスタート地点とし、初日の旅を終えた。

 ちなみに、「問答河岸跡」とは、かつて海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るときに、沢庵和尚が迎え出て問答をした場所を指している。

 余談だが、京急の踏切を直進する2車線道路は、江戸時代には海であった。品川宿は、海岸線に沿って展開されており、風光明媚な場所でもあったそうだ。現状からはとても想像の出来ない景色である(安藤広重の絵を見ると、確かに左側に海が描かれている)。


旅は、第2章へ続くのである・・・。

1-2 幹線道路にある東京の史跡へ2012/10/09 01:03

<目次(リンク)>
 1.真夏の日本橋を出発
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 2.幹線道路にある東京の史跡へ
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 3.最初の宿場、品川宿へ
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2.幹線道路にある東京の史跡へ

 東海道は、品川の八つ山(品川宿)まで現在の国道15号線(第一京浜)となる。このため、特に見所のない、両側にビルの建ち並ぶ”大通り”を歩くことになる。先ほどから東海道と表現しているが、正確には田町の先にある”高輪大木戸”を過ぎるまでは”江戸の内”と呼ばれ、町の中となる。この”大木戸”から先が、いわゆる”街道”としての東海道になる。

 さて、旅人二人は、広い通りをひたすら進む。新橋から浜松町の間は、オフィスのビルが建ち並び、日曜日ともなると人通りも交通量も少ない。銀座の人混みがうそのようである。左側には東海道新幹線、東海道線などの鉄道が行き交っており、鉄道と国道15号線の間には、いくつかの小さな道がある。これら小さな道沿いには、寺があることから、確かに国道15号はかつての街道であった証ともいえる。
 この辺りはビルが多いためか、比較的日陰も多く真夏の日差しを遮ってくれている。休憩もしたことから、二人の足は少し軽やかである。
【き】「なあ、おさべえ。」
【お】「あん?」
【き】「ビルばかりでつまらんなー。」
【お】「まあ、しょうがないさ。このあたりはオフィスが中心なのだから。」
【き】「そりゃそうだけど、何か発見があってもいいんじゃないかな。」
【お】「まあまあ、始まったばかりだ。発見はこれからだよ。それにしても、ビルがたくさんあるな。テナントが入っているのだから、どれほどの会社がここだけであるのやら。」
あらためて、東京という都市の大きさを感じるおさべえであった。

 やがて、大門の交差点に付く。右側には増上寺と東京タワーが、左側には浜松町の駅と世界貿易センターのビルがみえる。このあたりは、少し開けているせいか、空からは夏の日差しがそそぐ。
【き】「おお、大門だ。ようやく”歴史的なもの”に出会ったよ。」
そう言うのはきんのじ。ビルばかりの景色に退屈していたところに、寺と電波塔、そしてビルといった、ここだけでしか味わえない景色に、退屈な気持ちが癒されたらしい。
【お】「あの門の先、増上寺と東京タワーを入れて写真を撮る人は多いな。確かに、ここでしか味わえない、東京の絶景ポイントかもしれないな。」
 言い忘れたが、この二人は東京都港区在住。つまり、増上寺と東京タワーは、二人にとって珍しいものではない。が、普段見慣れている景色も、”東海道という街道から見た景色”になると、違った印象を受ける。これだから、歩きはおもしろい。
【き】「よっていくか?」
きんのじは言う。
【お】「そうさな。ちょっと折角だから寄っていくか。」
とおさべえも続く。

 二人は、大門の交差点で東海道からそれ、増上寺へ向かう。ここまで、人工物が中心の景色であったが、寺の境内は自然が多い。セミの鳴き声でかなり賑やかな境内には、港区の、いや、東京の観光スポットだけに人も多い。木陰で涼む二人の目の前には、増上寺の本堂と東京タワーが、夏の日差しを浴びて輝いていた。
【き】「やっぱり広いな。こうやってまじまじと見ると、この寺は本当に大きい。」
きんのじは、本堂を見ながら言った。
【き】「浅草の浅草寺も立派だが、この増上寺だって負けちゃいないな。そう思わないか?おさべえ。」
【お】「ああ、ここは徳川家のお墓もある由緒ある寺だ。しかも”江戸の内”にある。その重みは浅草寺なんてもんじゃないよ。」
なぜか、浅草寺に対抗意識を燃やす二人であった。
【お】「さあ、先へすすもう。」
先ほどよりも元気になったおさべえが先導で、再び東海道に戻る。大門の交差点から品川方面へ、再びビルの間を進む。やがて人通りも増え、賑やかになってきた。そろそろ田町駅前である。
【き】「田町駅か。ここは駅前の通りなので、やっぱり賑やかだな。」
きんのじは言う。
【お】「まあね。地図を見ると、この先に札の辻があり、その先に大木戸跡があるぞ。」
【き】「なるほど、いよいよ江戸を出るか。」

 田町の駅前を越えると、直ぐに札の辻の交差点に出る。札の辻とは、簡単に言えば、江戸への正面入口にあたる。札の辻という由来は、ここに高札場が設けられていて、布告法令などが掲示されていたことによる。現在は、交通量の多い交差点であるが、江戸時代には重要な場所であった。
 札の辻の交差点を過ぎると、いよいよ「高輪大木戸跡」である。交差点を越えてしばらく進むと、歩道に乗り出すように石垣が目に入ってくる。
【き】「ん、あの石垣はなんだ。城門跡か。」
【お】「きんのじ、あれこそが”高輪大木戸跡”だよ。ここまでが”江戸”で、あの大木戸跡の先からが、街道としての東海道になるとゆーわけだよ。」
【き】「なるほど。」
【お】「ん、説明版があるぞ。」
【き】「どれそれ、なんて書いてあるんだ、おさべえ。」
【お】「えっと、この大木戸が江戸への入り口と書いてあるな。今は都内有数の史跡のようだ。当時はここに、城門みたいな大きな門があったってわけだ。恐らく、ここで、江戸を出入りする人を取り締まっていたのだろう。」
【き】「日本橋からここまで、江戸という町は相当広かったようだ。家康さんはすごいな。」
あらためて、家康の偉大さを感じるきんのじであった。
【お】「きんのじ、いよいよ東海道だぞ。この門を出ればそこは江戸の外。最初の宿場、品川を目指そう。」


--1章3節へ続く--

1-1 真夏の日本橋を出発2012/10/09 01:04

第一章 旅のはじまり、品川宿へ

<登場人物>
 旅人「き」:きんのじ
 旅人「お」:おさべえ

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<目次(リンク)>
 1.真夏の日本橋を出発
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 2.幹線道路にある東京の史跡へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/09/6597409
 3.最初の宿場、品川宿へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/09/6597402

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1.真夏の日本橋を出発

 夏。1年で最も躍動感に満ちあふれた季節。空からはまばゆいばかりの日差しが注ぎ、その日差しを受けると、ジリジリと焼けてきそうなほどの強さ。誰しもが、木陰や建物の中に避難してしまいたくなるような季節。
 ビルの間でひっそりと育つ木々では、地中の長いくらしからようやく解き放たれ、地上に出てきたセミ達が、たった1週間の寿命をものともせず、たくましく鳴いている。

 東京は日本橋。江戸時代から続く「道」の出発点。日本橋川を渡る由緒ある橋である。橋の頭上には首都高速が通り、日本橋川にふたをしている。このため、優美な日本橋全景を見渡すことが難しくなっている。この、世の恥とも言えるふたの下に、男達は立っていた。
【き】「暑い・・・」
一人の男が言う。それほど暑い8月の昼下がり。誰もがうだっている中、じっと銀座方面を見つめている。日差しは直射。
【お】「暑いけど、行きますか。」
 この男達の名は「きんのじ」と「おさべえ」。東海道を京都へ向けて歩き出そうとしている、自称「弥次喜多」である。東京の日本橋から京都の三条大橋まで、約500キロ弱。長い旅の始まりである。
【き】「さあ、おさべえ、第一歩をふみだそう。」
きんのじのこの一言で、二人は日本橋を出発した。東海道は、ここからしばらくの間は、日本でも随一の繁華街、日本橋~銀座の中央通りとなって西へ進む。現代の道路標記で言うと、第一京浜つまり国道15号線となる。
【き】「それにしても、人が多いな。」
【お】「そりゃそうさ、きんのじ。この通りは中央通り。日本橋から銀座という、随一の繁華街を通るんだからさ。」
【き】「随一というと、やっぱり日本随一かね。」
【お】「そうだろうね。都内でも地方でも、その土地で最も栄えている繁華街を指して、○○銀座と呼ぶことがあるだろう。なら、ここは銀座。日本で最も栄えているっちゅーことになるんじゃないか。」
【き】「うーん。少々強引だが、まあ、まんざら間違いじゃないだろうね。」
 日本橋から京橋へ。京橋あたりでは商業ビルが多く、少し落ち着いた町並みとなり、一旦人通りが少なくなる。それもつかの間。再び人が増えてくると、そこは銀座。現在の東海道は、銀座中央通りとなり、多くの人で賑わう繁華街を貫く。直射日光を受けながら、多くの買い物客に紛れて銀座を進む二人。
【き】「それにしても暑いな。太陽が正面からどいてくれないよ。」
正面から夏の強い日差しを受け、きんのじが嘆く。
【お】「確かに。京を目指すというよりは、太陽を目指して歩いているといった感じだな、こりゃ。」
おさべえも嘆く。
この時、二人はまだ気づいていなかったが、太陽は東から昇って西へ沈む。東海道は西へ向かうとよく言われるが、日本列島の位置と東海道のルートを地図で見ると、東海道を横切るように太陽が移動する。つまり、日本橋から京都を目指した場合、常に正面に太陽があることになる。

 さて、旅人は足早に銀座を過ぎる。首都高速の陸橋が見えてくると、人通りが急に少なくなる。やがて、広い交差点に出ると道幅が広がる。そこは新橋。”汽笛一声新橋の~♪”で始まる鉄道唱歌にも唄われている、鉄道発祥の地である。
 最初に鉄道が走ったのは、明治5年(1872年)、新橋(旧汐留貨物駅)から横浜(現桜木町駅)の間である。そして、今は街道名と同じ名称の「東海道線」の一部となっている(正確には、横浜~桜木町間は根岸線)。
【き】「おお、新橋だ。ずいぶんと変わったなぁ。」
きんのじは、目の前にそびえ立つ汐留のビル群をみて、しみじみと言った。
【お】「汐留シオサイトが出来て、新橋も変わったよ。今は、老若男女、いろいろな人が集う場所になったしな。」
おさべえが答える。
 第一京浜(国道15号)、つまり東海道を京へ向かって歩いていると、左側に高層ビル群が現れる。これが汐留シオサイト。もともとは汐留貨物ターミナルであったが、今では再開発によって、一大商業エリアとなった。
 この高層ビル群の一角に、鉄道が開通した当時の駅舎が当時の場所に正確に復元されている。0キロポストや当時の遺構もあり、鉄道好きならず、ちょっと興味の引くところである。
 旅人二人は、そんなものがあることも知らず、暑さと戦いながら歩き続けた。
【お】「きんのじ、そろそろ休憩しないか。」
【き】「もう休憩?はやいなー。」
【お】「なにいってる、日本橋から新橋まで、休みなしだぞ。」
【き】「しょーがない。ビルの陰で少し休むか。」
 日本橋から新橋へ。地図上で見てもそれほどの距離ではないのだが、この日の暑さと、はじめての試みでもあり、体力の消耗が早い。
【き】「なあ、おさべえ。腹減らないか。」
【お】「ええ、もう減ったんか。歩き始めてそれほど経っていないぞ。」
と言った矢先、おさべえの腹の虫が鳴いた。
【き】「休憩がてら、蕎麦でもどうだ。」
【お】「そういえば、昼食はまだだったな。」
【き】「そうさ。ちょっと遅いけど、近くの蕎麦やでどうだい。」
【お】「いいねー。そうしよう。」
遅い朝食の後に日本橋へ出てきた二人は、もちろん昼食をとっていない。夏の暑さも手伝って、思った以上に腹が減っていた。
【お】「近くの蕎麦やって、この辺りに良い蕎麦やでもあるのかい、きんのじ。」
【き】「ん、いや、新橋駅のガード近くにある立ち食い蕎麦やさ。」
【お】「なんだ、立ち食い蕎麦か。もっと立派な蕎麦やでもあるのかと思ったよ。でもまあ、安くて手軽だな。」
確かに蕎麦。おさべえは立派な店構えの蕎麦やを想像していたので少々拍子抜けをしたが、安くて手頃なのは確かだった。
 昼食を終えた旅人二人は、再び京を目指した東海道の旅を再開した。といっても、まだ新橋。先はかなり長い。さて、本日の目標は・・・。
【お】「ところできんのじ。今日はどこまで行く?」
【き】「時間的にも体力的にもそれほどいけないだろう。まずは品川宿までを目指そうか。」
【お】「品川宿か。東海道最初の宿場。目標としてはわかりやすいな。よし、品川宿を目指そう。」
【き】「だな。そんじゃ、早速旅の再開といこう。まずは、高輪の大木戸を出ますかね。」
暑さのせいなのか、気だるさを感じつつも、歩を進める旅人二人であった。


--1章2節へ続く--

2-3 久しぶりの旧道は六郷の渡しへ2012/10/13 13:00

<目次(リンク)>
 1.品川宿を出発、鈴ヶ森刑場跡へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601282
 2.退屈な国道歩き
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601281
 3.久しぶりの旧道は六郷の渡しへ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601278
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3.久しぶりの旧道は六郷の渡しへ

 暑さと疲れのためか、すっかり口数の少なくなった旅人二人。すでに、思考ではなく本能で足を動かしているような状態に近くなっていた。そんな二人の前に、久しぶりに旧道の姿が見えてきた。それは、おさりんが事前にインターネットで調べていた光景であった。
【お】「ん、あれは?」
【き】「どうした、おさべえ。」
【お】「きんのじ、この先に、歩道の真ん中に木が見える場所があるの、わかるか。」
【き】「あ、ん、ああ、あれか。なんで歩道の真ん中に街路樹が並んでいるんだ。」
【お】「あれが旧道だよ。インターネットで調べたんだけど、旧道への分岐が歩道の延長のような形になっている、なんとも不思議な分岐があると。」
【き】「それがあの木のあるところというわけか。」
【お】「そうさ。左側が旧東海道、右側は歩道というわけだよ。」
 事前に調べていた分岐にたどりついたことで、おさべえに、ようやく「思考」が戻ってきた。旧道分岐へ向かい、少し足の運びが軽やかになったのか、ほどなくして旧道分岐へたどりついた。
【お】「きんのじ。この旧道を進めば、いよいよ六郷の橋だよ。川崎は目の前だ。」
【き】「ほう、この道がね・・・。ということは、江戸時代にはこの先に渡しがあったということか。」
【お】「そうだね。さあ、いよいよ多摩川だ。先を急ごう。」
先ほどよりいくぶん元気になったおさべえは、きんのじを従える形となり、旧道を進んだ。旧道といっても、よくある一般的な道になっているが、長く国道を歩いてきた二人にとっては新鮮であった。
 やがて旧道は終わり、国道に合流すると、そこは六郷の橋のたもとであった。目の前は多摩川で、いよいよ都内を出て神奈川県に入る。
 江戸時代、六郷には当然橋はなく、船で旅人を渡していた。いわゆる「六郷の渡し」である。現在は、国道15号に橋が架かっているため、難なく越えられるが、当時は難所の一つであったことが想像できる。
 さて、きんのじとおさべえの二人は、いよいよ多摩川を渡り、川崎市へ入る。品川宿についで二つめの宿場、川崎宿まであとわずかである。
【お】「きんのじ、いよいよ多摩川だ。対岸が川崎市か・・・。宿場までもう少しだな。」
【き】「河口から上ってくる風がさわやかだな。」
【お】「そういえば、これだけの大きな川だと、確かに風が吹いていて、気持ちがいいな。」
【き】「それにしても、多摩川を徒歩で渡るとわね・・・。はじめての経験だよ。」
【お】「はっはっは、きんのじの言うとおり。いつもは右側を走っている電車であっさりと渡ってしまうからな。こうして、徒歩でゆっくり渡るのは初めてだ。」
 河口から上ってくる風を受け、ようやく涼を感じる二人は、多摩川という、今回の旅で初めて目にする大河の景色に満足しながら、川崎宿を目指す。やがて渡り終えた二人は、橋の横に案内板とモニュメントがあることに気づいた。それは、六郷の渡しに関する説明版であった。
【お】「いやー、渡り終えたな、きんのじ。」
【き】「神奈川県か。歩いて神奈川県に来たのは初めてだな。こうしてみると、多摩川は大きい川だなぁ。」
【お】「ん、なんだこれ。」
【き】「どうした、おさべえ。」
【お】「なんか案内板があるぞ。六郷の渡しのことが書かれている。」
【き】「ほう、どれどれ。本当だ。」
【お】「説明によると、六郷の渡しは、ここよりもう少し下流側にあったらしい。」
【き】「江戸時代は船か。そうだろうな。これだけの川を越えるのには、船じゃなければ厳しかったのだろう。」
【お】「それもそうだけど、河口近くなので深さもあり、橋を架けることもできなかったんじゃないかな。」
【き】「まあ、おさべえの言う通りだろうね。」
【お】「同じく江戸から京都を結ぶ中山道と比べると、東海道は川が多い。特に、多摩川をはじめ、相模川、酒匂川、安部川、富士川、大井川、天竜川など、大河と呼ばれる大きな川を越えなければならないから、当時は大変だったんだろうな。」
【き】「多摩川は、江戸を出発して最初に越える大河か。」
 六郷の渡しに関する説明を一通り読んだ二人は、再び川崎宿を目指して歩を進めた。東海道は、多摩川を渡りきるとすぐに右へ分岐する。六郷の旧道を歩いた場合、一旦国道を右から左へ越える必要がある。橋のたもとで国道は陸橋となり右方向へ分岐する道を越えている。この右方向へ分岐する道こそが、川崎宿を通る東海道でり、川崎宿の入り口となる。二人は、迷うことなく右へ分岐する道へ歩を進めた。すると、すぐに「川崎宿」の文字が現れた。
【お】「あれ、もう川崎宿。」
【き】「そのようだな、おさべえ。渡しを控えているので、川の近くに宿場があったのだろう。」
【き】「なるほど、きんのじの言うとおりかもしれない。ということは、着いたわけか、川崎宿に。とりあえず、終了地点にふさわしい場所まで行こう。」

 川崎宿に入ると、高札場や本陣、脇本陣を表す標柱が立てられている。退屈だった国道歩きから一変して、記録を残しながら歩く二人にとっては忙しい道となった。
 旧東海道ルートは、川崎駅前の繁華街になっているようで、先へ進むにつれて賑やかになってきた。様々な店が建ち並び、人通りも多くなってきたころ、「田中本陣跡」の標柱が現れた。
【お】「おお、本陣跡だ。ここが川崎宿の中心だったとこだよ。」
【き】「ちなみに、本陣は大名が宿泊する宿、というわけだよな、おさべえ。」
【お】「その通り。」
【き】「この先の交差点を右に行くと、川崎駅に出られる。ここで終えるかい?おさべえ。」
【お】「次回、続けやすいので、ここで終えようか。」

 真夏の東海道。品川宿からスタートした今回の旅は、退屈な国道歩き、そして多摩川を越えて川崎宿にたどりついたところで終わった。夏とはいえ、日が傾いてくると、いくぶん涼しくなる。旅人は、次回のスタート地点となる「田中本陣跡」を後にして、川崎駅へ向かった。

 余談だが、帰りに乗った東海道線は、二人が苦労して歩いてきた距離を、20分もかからずに通り過ぎてしまった。ややむなしさの残る二人だったが、既に気持ちは次回へ向いていた。


旅は、第3章へ続くのである・・・。

2-2 退屈な国道歩き2012/10/13 13:01

<目次(リンク)>
 1.品川宿を出発、鈴ヶ森刑場跡へ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601282
 2.退屈な国道歩き
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601281
 3.久しぶりの旧道は六郷の渡しへ
  http://o-chan.asablo.jp/blog/2012/10/13/6601278
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2.退屈な国道歩き

 夏の日差しが容赦なく照りつける東海道。アスファルトの道は、照り返しの熱を放出し、太陽の熱と共に旅人を苦しめる。水分を補給しながら鈴ヶ森まで歩んできた旅人にとって、これからが正念場であった。
 鈴ヶ森で国道15号線に合流した東海道は、わずかに残る旧道を除けば、川崎宿の手前、六郷の橋(多摩川)まで、基本的に国道15号線となる。旅人にとっては、暑くて退屈な、長い国道歩きの始まりであった。

 国道へ合流後、交通量の多い国道を太陽に向かって歩く。向かって右側には京急の高架が続く。大森海岸駅を過ぎ、平和島近くで左側に斜めに分岐する道がある。「東海道」とかかれた石碑が出迎えていることからも、大田区に残る数少ない旧道の一つのようだ。
【お】「なぁきんのじ。東海道と書いてある。ここが旧道というわけだな。」
【き】「そうようで・・・。三原通りと書いてあるし、商店街になっているなぁ。東海道と書かれた石碑がなければ、この道が東海道ということがわからないな。」
【お】「かつての街道も、今はどこにでもある道、というわけか。」
 国道15号から分岐した旧道(旧東海道)は、それほど距離はなく、しばらく歩くと交差点の一角に出て終わってしまった。そこから先は、再び炎天下の国道歩きとなる。
【お】「しっかし、さすがに第一京浜。交通量多いな。しかも暑いときてるよ。」
【き】「まあ、そうぼやくなって、おさべえ。とは言ったものの、確かにぼやきたくなるなぁ。」
【お】「みてみな、きんのじ。陽炎だよ。いったいどこまで続いているのだか、この道は。」
【き】「そりゃ、川崎だろう。ちなみに、国道15号は横浜駅の手前で国道1号に合流するから、そこまでだろうね。」
【お】「はっはっは、わかっているけど、つい言いたくなるのさ。」
【き】「まあ、確かに暑い。よりによって快晴だもんな・・・。」
 つまらない国道歩きは続く。途中、休憩と暑さを避けるために、何度かコンビニへ寄った。国道歩きで唯一救われるとすれば、それは幹線道路だけにコンビニは必ずあるということだろう。
 しばらくすると、京急の線路が地上に降りてきて、やや大きめの駅に着く。人通りも多くなると、そこが京急蒲田である。京急蒲田は、横浜方面の「本線」と、羽田空港へ向かう路線が分岐する駅である。そして、たびたび箱根駅伝でどらまを展開している、あの踏切のある駅である。
【お】「お、そろそろ蒲田のようだな。右側に京急蒲田の駅があるぞ、きんのじ。」
【き】「ここが、箱根駅伝でよく写る踏切のある駅か。」
【お】「箱根駅伝、なるほど。確かにこの辺りは復路でよく写る。」
【き】「おさべえ、あれが踏切だろう。」
きんのじは先の方を指さした。ちょうどその時、電車が道路を横切っていた。第一京浜という幹線道路を踏切で横断する、京急ならではの光景かもしれない。ただ、この踏切のおかげで、道路は混雑していた。

 余談だが、現在は立体交差化工事が進行中であり、やがてこの踏切は消えて無くなるものである。この小説は2001年に筆者が蒲田付近を歩いた情報を元に作成しているため、踏切の話題が出てくる。

 踏切は越えたものの、先はまだ長く、夏の暑さも手伝って、旅人に疲労の色が見え始めてきた。国道沿いには、目立った緑もなく、ただひたすら多摩川を目指して歩くしかなかった。やがて、おさべえが車道を挟んだ対岸に公園らしきものを見つけた
【お】「なぁ、きんのじ。向こう側にあるの、公園じゃないか。」
【き】「ん、ああ、そうだな。公園っぽいな。」
【お】「ちょっと休んで行かないか。こう暑くてはたまらん。」
【き】「そうだな、少し休憩しよう。暑い中を歩き続けるのもよくない。」
 二人はとりあえず反対側へ渡り、休息をとることにした。おさべえが見つけた場所は公園であった。といっても、広場があるだけだが、周囲は木陰になっているので、適当な場所で休憩した。歩みを止めると、体中からあせがしみ出てくるような状態になる。
【き】「あとどのくらいあるんだ、おさべえ。」
【お】「えっと、この資料を見る限りでは、まだ半分近くあるぞ。六郷地区にも入っていない。」
【き】「あれー、ずいぶん歩いたような気がしたんだけどな。」
【お】「見所もなく、ただただ暑い国道歩きだからな、距離感がおかしくなってくるよ。地図を見ても、どこまで進んできたのかわかりにくいし。」
【き】「ひたすら歩くというのは、以外に厳しいもんだなぁ。」
そんな会話もつかの間。休みすぎるのも禁物なのが、真夏の東海道である。二人は、どちらから言うわけでもなかったが、しばし休憩すると、再び歩を進め始めた。
【お】「さあ、きんのじ。とにかく先に進もう。多摩川までたどりつかないと、川崎宿にはつかいからね。」
とおさべえ。きんのじに対して言ってはいるが、自分に言い聞かせているようでもある。

 国道15号線を歩く旅人に、夏の日差しが容赦なくそそぐ。疲れも出てきた旅人にとって、過ぎ去る時間が長く感じられた。休憩した公園からどのくらい歩いただろうか。信号機に付いている表示が「六郷」となり、ようやく先が見えてきた。
【き】「きんのじ。ようやく六郷地区に入ったようだよ。」
【お】「ああ、ずいぶんと長かったな。」
【き】「だけど、六郷とはいうものの、多摩川まではあとどのくらいあるんだ。暑いせいもあって、結構疲れてきたなぁ。」
【き】「だいたい、今どの辺りなんだ、おさべえ?」
【お】「うーん、なかなかつかみ所のない道なので、どの辺りか見当をつけるのが難しい。旧道が分岐するとか、寺があるとかすれば、おおよその見当はつくのだけど・・・。」
【き】「まあ、かつての東海道とはいっても今は第一京浜。車の走る幹線道路だからね。特徴を探す方が難しいかもしれない。」
【お】「ごもっとも。それにしても、国道歩きはつまらんなぁ。なんか、もっとおもしろいものがあればいいけど、何もないし、しかも暑い。疲れてきたよ。」
【き】「まあまあ、そう愚痴るなって、おさべえ。一歩一歩前進しているんだからさ。」
 暑さのせいも重なってなのか、口数がすっかる少なくなっていたおさべえだが、口を開くと愚痴が出てくるようだ。暑さと幹線道路、特徴のない道がどこまで続くのかわからない、となれば、愚痴が出るのも無理はない。

--2章3節へ続く--