黄色い都電2007/03/18 18:58

黄色に戻った都電
今日、久しぶりに都電荒川線に乗った。
都電荒川線といえば、都内に残る唯一の都電で、チンチン電車の呼び名で親しまれている。
町屋から大塚までの乗車だったが、かなり混雑していた。PASMOにも対応しているので、普段使用しているSuicaで乗車。大塚駅で下車後、少ししたところで後続の電車がやってきた。「ん!なんか感じが違うぞ」。冷房付きの車両ではあるが、なんとなく雰囲気が違う。なんと、車体が「黄色」なのだ。恐らく、かなり前から走っているのだと思うが、久しぶりに都電を見ただけに、ちょっとした衝撃だった。
都電が走っていた頃の写真を見ると、黄色に赤い帯の車両が写っている。荒川線を除くすべての路線が廃止になった後、荒川線はワンマン化され、黄色に青い帯となった。
子供の頃、親に連れられて乗った都電が、黄色に青い帯の電車だった。車体更新や冷房化により、現在の白地に緑色の帯の車体になったが、かつての色に戻った車両は、なんとなく懐かしさがあった。
7000形や7500形がまだまだ元気に走る都電荒川線、のんびりとゆっくりと走る電車に乗るのも、たまにはいいものだ。

【東海道を行く】品川宿:旧家2007/03/21 21:49

品川宿:旧家

「街道を行く」。街道のちょっとした情報を伝えるため、カテゴリを変更しました。初回となります今回は、「東海道を行く」と題しまして、東海道品川宿の旧家を紹介します。

まずは品川宿について。
江戸時代に、幕府直轄として整備された5街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)、その中でも江戸と京都を結び、最も往来の多かった道が東海道です。品川宿は、そんな東海道の最初の宿場(日本橋から数えて1番目の宿場)として栄えました。「旅籠:93軒、本陣:1軒、脇本陣:2軒」と、比較的規模の大きな宿場であり、現在も商店街として栄えています。

さて、この品川宿を歩いてみると、様々な史跡や神社仏閣が目にとまります。しかしながら、宿場の雰囲気というと、当時の面影はなく、近代的な建物が並ぶ「現在の町」となっています。特に北品川駅側には、再開発によって生まれた品川イースト地区があり、高層ビルが建ち並んでいます。

そんな近代的な品川宿の中で旧家を見つけました。京急鮫洲駅近くの旧東海道には、今もなお平屋建ての旧家が残っています。築何年くらい経つのか、詳しいことはわかりませんが、近代的な建物の中にあって、どこか懐かしさを感じる家です。

中はどうなっているのだろう? 土間なのかな・・・。重厚な梁のある家なのかな・・・。興味は大きくなるばかりでしたが、一般の民家であるため、外から写真を撮るのが精一杯でした。それでも、ここだけは古き良き東海道といった感じです。


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【東海道を行く】品川宿:真了寺2007/03/23 01:24

光照山真了寺の不思議な門構え

「東海道を行く」2回目も品川宿から。

東海道をはじめ、江戸時代の街道の宿場には、メインとなる街道とは別に小さな道が平行して走っています。品川宿も同じく、旧東海道と平行して小道があります。そして、小道沿いにも神社や寺が並んでいます。

品川宿内は旧東海道しか歩いていなかったため、青物横丁を過ぎた辺りで、品川へ向かって左側に平行している小道を歩いてみました。そこで不思議なものを発見!
なんと、門には象が、それも左右にいるではないか!ここはインドか?それとも日本か?
もちろん、日本なのですが、なんとも妙な門構えのある寺がありました。この寺は「光照山真了寺」といい、なんと、本堂の下にペットのための霊園があるそうです。
ペットも大切な家族。人間と同じように、お亡くなりになられたペットも懇ろに弔ってあげよう、といったところでしょうか。
なんとも不思議なお寺もあるものです。

ゆっくりと品川宿を散策してみると、以外なものに出くわすかもしれませんよ。


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【今日の一枚】六本木ヒルズ 森タワー2007/03/23 01:51

六本木ヒルズ森タワー
ご存じ、六本木ヒルズの森タワーです。太陽の光がビルの窓に反射することで逆光を作り出し、背後の空の色が一際濃くなっています。まるで、成層圏にそびえ立つ六本木ヒルズといった感じです。
太陽とビルの窓のちょっとしたいたずらが、かえっておもしろい写真を作り上げます。

【東海道を行く】港区三田、札の辻2007/03/26 01:59

札の辻交差点
さて、今回の「東海道を行く」は、東京港区三田にある「札の辻」です。この交差点、現在は国道15号線にあるのですが、江戸時代には「高札」を設けた辻でした。
一般に、札の辻とは「高札場のある辻」のことを意味しています。ここ三田の札の辻交差点にも、江戸時代には高札が設けられ、にぎわいをみせていたようです。
なお、この札の辻から品川方面へ向かうと、高輪大木戸跡があります。大木戸は江戸の内外を分けるための門で、大木戸から江戸城側は江戸の内と呼ばれていました。東海道は、日本橋を起点とされていますが、日本橋から大木戸までは江戸の内であり、大木戸から始まっていたとされています。

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